2021年3月7日(日)
長野市
南千歳公園
2021年2月13日(土)
長野市
JA長野県ビル 12階 12A会議室
2020年10月18日(日)13:30〜16:30
長野市
高校教育会館大会議室
2019年3月23日(日)13:30〜16:30
長野市
高校教育会館大会議室
2018年3月25日(日)13:30〜16:30
長野市
高校教育会館大会議室
2017年3月12日(日)
松本市
JR松本駅お城口広場
2017年1月29日(日)
長野市
高校教育会館大会議室
2016年3月26日(土)
代々木公園
メインステージ・野外ステージ
ケヤキ並木ステージ(東京都渋谷区)
2016年1月30日
いま、あらためて見直そう!
福島原発事故の問題点そして現状を
会場:長野県教育会館会議室
2015年11月29日
長野県松本市 キッセイ文化ホール
2015年10月11日
柏崎市海浜公園「夕陽のドーム」
2015年3月1日
脱原発・再生可能エネルギー中心の社会へ
会場:長野県長野市・高校教育会館大会議室
2014年11月22日
静岡県葵区 駿府城公園
「脱原発信州ネットワーク・松本」主催の集会とデモが行われました。
思い思いのメッセージを書いたプラカードやペンライトを掲げながら、200人が駅前周辺を行進。仕事帰りやハナキンで街に繰り出していた人たちが、写メを撮るなど注目されてました。出発前には避難者の受け入れを行っているNPO法人「まつもと子ども留学基金」の植木宏さんから「子どもたちを放射能から守ろう。悲劇を繰り返してはならない」という訴えがあり、集会アピールを確認しました。市民が声をあげ、訴え続けることの大事さを確認した金曜日行動になりました。
9月23日(火・祝日) 東京・代々木公園
開催見合わせになりました→詳しくはこちら
「なくそテ原発 柏崎大集会」が8月 24 日に柏崎市 アルフォーレで開催されました。集会には目標の 1000人を大きく上回る 1400 人が集まり大成功しました。実行委員会の呼びかけに応えて、長野県からも約 100 名が 参加しました。一番遠くからの参加は飯田市の皆さんで「朝暗いうちから出てきました」とのこと。飯水岳北連 絡会と坂城町、県連絡会がマイクロバスで参加しました。
植木史将実行委員長は、「柏崎刈羽原発の再稼働の動きは許せない。フクシマを忘れないの声を大に して廃炉まで頑張ろう」と挨拶しました。元国会福島原発事故調査委員会の崎山比早子が「終わらない福島原発事故と放射能―国会事故調査でわかったこと」 と題して講演しました。崎山さんは「福島原発では毎日 400 トンの地下水が流入し彫像タンクは急造で耐久年数は 3〜 5 年、それに対しストロンチウムやトリチウムの半減期がそれぞれ 29 年と 12 年で大変な状況。柏崎刈羽原発は中越沖地震で 11cm隆起したことから、再稼働はとんでもない。 すべての原発の廃炉を」と訴えました。
各界からの訴えでは、長野県から飯水岳北の小林さん、 原発に頼らない未来を創ろうプロジェクトの田澤さんが発言しました。集会では、「福井地裁判決の意義」についても特別報告がありました。 集会後には、デモ行進が行われました。 長野県保険医協会の鈴木会長 が横断幕をもってデモの先頭に立ち ました。沿道からの手を振っての応 援もあり、住民の皆さんの関心の高 さを実感しました。
参加者の皆さんからは、「元気をも らった」「また地域で頑張りたい」と の感想が寄せられました。
石川文洋後援会
8月24日(日)
柏崎市アルフォーレ大ホール 参加費無料
参加券希望者は連絡会事務局に連絡下さい
3月8日から11日までの期間で、「なくせ原発」「再稼働反対」「福島の早期復興」を掲げて、11 の地域で行動が取り組まれ、約2500人が参加しました。
大震災・原発事故から 3 年を迎えましたが、福島県全体の避難者は 3 月 6 日現在、県内避難 87,551
人、県外避難 47,995 人と、いまだに 14 万人近くを数え、増え続ける原発事故関連死は 1,671 人とな
り、地震・津波の直接死 1,603 人を大きく上回っています。仮設住宅の劣化も含め避難生活は、まさ に限界をこえています。また、今後の生活再建のカギをにぎる「除染」「賠償」「廃炉」にしても、依 然先の見えない状況が続いています。さらに、増え続ける汚染水は、放射性物質を地中や海中に拡散 し、その深刻化が国際的にも注目されるありさまです。福島第 1 原発の現状は、まさに国家的非常事
態とも言うべき危機に直面しています。しかし、驚くべきことに、安倍内閣は 2 月 25 日、原発を「重 要なベースロード電源」と位置付け、再稼働・原発輸出・核燃料サイクルも推進するという時代逆行 の「エネルギー基本計画案」を決定し、今月中の閣議決定を狙っています。さらに、川内原発(鹿児島 県)の再稼働を強行しようとしています。
こうした情勢の中での今回の取り組みは、「脱原発」の1点での共同と、金官行動に連帯した、毎週 金曜日の行動などの粘り強い取り組みの積み重ねの上に実施されました。また、集会以外に、映画会 や講演会など多彩な取り組みがありました。若い人たちの参加が広がる一方で、行動全体の参加者が、 残念ながら減少しています。安倍内閣の原発推進の暴走を阻止するためにも、あらためて、地域や職 場・学園からもっと大きな運動をつくりだすことが求められています。今回の行動をその新しい出発 点にしようとの熱い思いが共有されました。
‹長野›
長野市の集会には 500 人が参加しました。 全員で黙とうをした後、3名の呼びかけ人(袖 山榮眞さん、田澤洋子さん、本道多加子さん が挨拶し、森永敦子さんが「福島からの訴え」 をしました。森永さんは「被災から3年と言 われるが、今も被災し続けている。15万人 が今も避難生活を余儀なくされている。フク シマ原発事故が続く中での原発再稼働は許せ ない」と訴えました。参加者・団体の訴えの中で、県内の大学生でつくる復興支援グル−プ「KIKKAKE BUS」の8人も登壇し「南三陸産のわかめが風評被害で売れない。味噌汁を 試食して食べてください」と発言しました。 集会後参加者は、市内をデモ行進し、「原発を なくそう」「再稼働反対」を元気に訴えました。 この日は、午後から、平和シンポNAGA NO主催の原発シンポジュウムが開催されま した。坂田雅子さん、マブソン青眼さん、森 永敦子さんがパネリストになり、100 名を超 える市民の皆さんが参加して、熱心な話し合いが行われました。
‹佐久›
3.11佐久ネット主催の「放射 NO!脱原発佐久大行 進」が、佐久市民交流ひろばで開かれました。2012年 には500名を遙かに超えた人が集まったが、二回目の 昨年は250、今回は150の集会となりました。政治状 況や無力感もあって、継続は難しいことですが、今日も初 めて参加した人がいたり、初めて発言してくれた人もい て、新たな感動がありました。開会前のアトラクション は「しお9バンド」という3.11後に結成されたメン バーが反原発の演奏をしてくれて、楽しかったし、演奏 している人たちも楽しそうでした。
アピール発言をしてくれたのは放射能を考える会の長岡さん、退教9条の会の小林さん、サラバの湯浅 さん、六カ所会議浅間の纉cさん、平和委員会の望月さん。「これは一生かけて声を上げ続けるける活動 だから焦らない」という纉cさんの言葉を共有し、無くなるまでうまずたゆまず続けていこうと確認しあ あえた日でした。午後は原発関連の上映会をしました。30人を越えて、本当に熱心に見ていただけて企 画した側も嬉しかったです。以下は寄せられた感想の一部です。
・セシウムの影響を過小評価している日本の医療機関、関係者の恐ろしさを知った。今、被曝したことも たちの子どもの世代が心配なんだと言うことを知った。
・原発事故に対して「いのち」の視点での訴えはずしりと胸に響きました。飯舘村の村長や村民が、事故 について「悲しくて悔しくてなりません」の言葉の持つ意味を私たちは深くかみしめなければならないと しみじみ思いました。
・あの原発事故から時がたち強い原発反対の思いが少 しずつ離れていくことを思い、今日の上映会に参加し たく出かけてきました。改めてあの日の恐怖、福島の 方々への想いがよみがえりました。
・原発ビジネスのためにどれだけのうそ、いつわりが されてきたかがよく分かりました。再生可能エネルギ ーをあちこちの地域で起こしていくことが第一歩にな りますね。日常で忘れかけていたことを思い起こされ ました。
全国の皆さん、この間のご支援に心から感謝を申しあげます。
大震災・原発事故から3年を迎えました。福島県全体の避難者は3月6日現在、県内避難87,551人、県外避難47,995人と、いまだに14万人近くを数え、増え続ける原発事故関連死は1,671人となり、地震・津波の直接死1,603人を大きく上回りました。仮設住宅の劣化も含め避難生活は、まさに限界をこえています。また、今後の生活再建のカギをにぎる「除染」「賠償」「廃炉」にしても、依然先の見えない状況が続いています。さらに、増え続ける汚染水は、放射性物質を地中や海中に拡散し、その深刻化が国際的にも注目されるありさまです。福島第1原発の現状は、まさに国家的非常事態とも言うべき危機に直面しています。
こういう中で、安倍内閣は2月25日、原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、再稼働・原発輸出・核燃料サイクルも推進するという時代逆行の「エネルギー基本計画案」を決定し、今月中の閣議決定を狙っています。さらに、今年7月からの柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を前提とし、かつ電気料金を人質にとった「東電再建計画」の政府認定(1/15)も合わせ、安倍内閣の姿勢は「東電は守るが、福島県民の要求は切り捨てる」というものであり、県民として断じて許せないものです。
いま、私たち「ふくしま復興共同センター」は、国に対し 1、「事故収束宣言」を撤回し、国の責任で汚染水問題の抜本的解決をすすめること、 2、徹底した除染と完全賠償、健康管理と医療保障で、子どもや県民が安心して住み続けられる福島をつくること、 3、福島原発はすべて廃炉にし、再稼働をやめ、原発即時ゼロの政治決断を行なうことを強く求め、「原発即時ゼロ、子ども・いのち・くらしを守る100万人署名運動」に取り組んでいます。
1年半前の2012年9月、民主党前政権の際に、まがりなりにも国民の声が「2030年代原発ゼロ」と言う形でまとめられました。安倍内閣は、これすら投げ捨て原発回帰を総仕上げしようとしている今、この「原発即時ゼロ100万人署名運動」の意義は、増々高まっており、県民のたたかうエネルギーをこの署名に総結集し、安倍内閣の原発推進の暴走を阻止することが求められています。
来月4月の国会提出をめざし、何としても成功させる決意です。全国の皆さんの、この署名運動への絶大なるご支援をお願い致しまして、福島からのメッセージとします。共に奮闘しましょう。
2014年3月11日
ふくしま復興共同センター
代表委員 斎藤富春(福島県労連議長)
佐久3月9日 |
上田3月9日 |
長野シンポ3月9日 |
飯山3月8日 |
飯田3月9日 |
塩尻3月9日 |
伊那3月9日 |
11月16日、17日に大町市で「再生可能エネルギー普及 全国フォーラム2013in大町」が開催されました。この集会は、原発からの撤退と異常気象を引き起す地球温暖化を防ぐために、再生可能エネルギーの普及をめざして、草の根からの取り組みを強める目的で開かれたものです。長野県内からも、地元大町市や白馬村の皆さんをはじめ各地域、団体の皆さんが参加しました。
最初の記念講演は、吉井英勝(前衆議院議員)さんで、「原発依存から抜け出し、自然エネルギーで値域経済の再生を」がテーマでした。吉井さんは、福島原発では、燃料棒がどこにあるのか、どうなっているのかさえつかめていない。「収束宣言」も「ブロック」されているというのもでたらめ。地下水が1日1000t、汚染水タンクから300tの水漏れがあるが、東電には解決する能力がない。さらに驚くべきことに、貯蔵タンクが通常は溶接でつくるが、福島ではパッキンでボルト締めになっているため、ゆがみや劣化が始まっている。それもお金を掛けたくないからだ。東電や政府はさかんに「想定外」というが、これまでの国会論戦や専門家の指摘を無視してきただけで、「想定外」は通用しない。原発は1基が5000億円のビジネスで、原子力ムラの人たちにとっては大変儲かるビジネス。だから安倍首相の成長戦略の柱の一つになっておりトップセールスをしている。こうした暴挙を許さない世論をつくること。再生可能エネルギーの爆発的普及でエネルギーでも地域経済でも原発依存から抜け出すことが必要であり、キーワードになる。と訴えました。
二つ目の講演は、傘木宏夫(NPO地域づくり工房・代表理事)さんで、「再生可能エネルギーで地域おこし」がテーマでした。傘木さんは。地元での取り組みの経験を踏まえて、小水力発電が良いと思っても、様々な規制があり、手続きが面倒で、地元の理解と合意を得ることも努力が必要なこと。さらに、現在は、売電利益のみに目が奪われている傾向が強いが、地域振興のためにどのように再生可能エネルギーを掘り起こすか。市場優先社会を維持する装置としてでなく、地域の自立を促す装置として「地産地消型」をめざすことを考えるべきではないか。また、自然エネルギーの活用で、専門家の協力、地元住民の合意、関係者の皆さんの長年の維持管理のための努力や歴史的経過を理解し協力を得る努力の必要も話されました。翌日は分科会で、熱心な討論が行われました。
(駒沢小水力発電所)
8月25日に、塩尻市の中信会館を会場に、脱原発社会をめざす塩尻の会主催で、「福島からあなたへ」というテーマで、福島原発告訴団団長でもある武藤類子さんの講演会が行われ、 200名を超える市民のみなさんが参加した。スライドも 100 枚ほど用意され、まず、汚染水で大問題になっている福島第一原発でいま、起こっている問題をリアルに語られた。
除染ゴミの処理問題、子どもたちが安心 して遊べない環境、東電も、政府もこんなに大きな事故が起 きたにもかかわらず、責任をとっていないことなど、多くを語られた。そして、自然エネルギーを大切に、自然とともに生きられている姿が、 動物や森の昆虫のスライドと合わせて紹介され、いまの自分たちの生き方を改めて見直していくこと も大事ではないかと感じた。
講演会終了後には、著書「福島からあなたへ」のサイン会に列ができた。 参加者の多くは、感想で、大変感動した話でした。そして、原発のない長野県でも、もっと学習を深め、「脱原発」を求める声を上げていきましょうと決意が語られていた。引き続き、「塩尻の会」では、講演会や映画会など、計画していく予定です。
なお、この講演会の成功に向けて、多くの団体、個人が協力してくれ、運動の広がりを感じた。引 き続き、幅広い共同の輪を「原発反対」の一致点で広げていきたい。
武藤類子さんの講演を聴いて (参加された 方からの感想です)
十数年前になりますが、チェルノブイリ の原発事故をきっかけに自らの生活を見直 した・・・そんな武藤さんの記事を目にした ことがあります。その行動に衝撃を受けた 反面、遠い日本の地でなぜそこまで・・・とい う思いもありました。
今回、武藤さんの生 の声を聴いて、より磨きのかかった自然 エ ネルギーによる生活は、驚きの連続です! この講演の中で2つのことが胸に残りました。1 つは、海の汚染について自国の日本よりも他国の 外国の方が関心を示している実情。もう一つは「原発事故は、何の臭いも色も変えない。一見すると、 何事もなかったようにさえする。本当はどんな賠償を受けても、償えないものである」という武藤さ ん自身の言葉です。
この2つには、めざましい経済成長によって私たちは便利で豊かな暮らしを手に入れました。その 暮らしが当たり前になりすぎ、いつしか手間をかけて暮らすことを忘れています。そういう平穏な暮 らしや日常が、大震災によって起きた原発の本当の恐ろしさや真実あるいは事実が都合のいいように 隠されていることすら気付かないのだと感じました。そして、「真実が何であるのか」「何が起こって いるのか」その実態を見ようとしない、知ろうとしない、そんな私たちの無関心な姿勢が共通してあ るように思えてならないです。
私は、大震災によって「原発」について知ったことがほとんどです。この大震災によって知らされ たがあります。本来なら、ずっとずっと以前から知らなければならなかったことかも知れません。
今できること、これからできることは、様々な角度から大震災によって受けた多大な影響を知り、 関心を持ち続けることです。意識的に関心を持たなければ記憶も薄れて、やがて記憶の中でも蘇りに くくなるのだと思います。自らの目で見て、自らの耳で聴いて、その実態を広め、繋げていくことで す。この講演は、まさにその第 1 歩です。
福島原発事故は収束したでしょうか。
メルトダウンした核燃料棒はどうなったのでしょうか。
高濃度汚染水の流出はどうなるのでしょうか。
収束どころか放射能漏れは続いています。空中に、地中に、海中に。
政府の「自宅に帰還可能」は正しいでしょうか。
ホントに大丈夫でしょうか。住民や労働者の被爆は続いています。
中央構造線・南海トラフがアブナイ!
四国電力伊方原発3号機(愛媛県)再稼働はアブナイ!
すべての原発再稼働と原発輸出にNO ! の声をあげ続けましょう。
関西電力・大飯原発を止めましょう。
第2のフクシマが起きると信州も全滅の危機です。
6月2日に東京で「6.2 NO NUKES DAY」が取り組まれました。この行動は、脱原発をめざす、「原発をなくす全億連絡会」「首都圏反原発連合」「さよなら原発1000万人アクション」の3団体が共同して行動に取り組みました。連絡会は独自に明治公園で「原発ゼロをめざす中央集会」を開催し、全国から18.000人が参加し、集会とデモに続いて国会大包囲行動に合流しました。長野県からは、各地域・各団体から約400名が参加しました。
主催者挨拶で、長瀬文雄(全日本民医連事務局長)さんは、「安倍首相は安全を確認したら原発を再稼働させると発言し、電力会社は新基準の発表をまって再稼働を準備している。国民の声や被災者の思いに応えない政府や電力会社の姿勢を我々は絶対に許さない。今なお、16万人が家を奪われ、不自由な避難生活を余儀なくされている。不十分な健康調査、不十分な損害補償のために、福島県民や国民の不安は計り知れない。福島県民の願いはただ一つ「元の生活に戻せ」ということ。原発は全く収束していない。さらに各地の原発の上に活断層が見つかっている。原発は経済の問題やエネルギーの問題ではない。人間の命の問題だ。一人一人は微力でも無力ではない。原発をなくすために力をあわせ、今日をその出発点にしよう。」と呼びかけました。
続いて共同行動の二つの団体から連帯の挨拶がありました。
ミサオ・レッドウルフ(首都圏反原発連合)さんは、「野田元首相が再稼働を決定した時に、官邸前は人で溢れた。官邸前だけでなく全国で運動が広がり、民主党政権はいったんは原発ゼロを言いかけた。しかしアメリカと経団連の横やりで、閣議決定できなかった。一人一人の力は小さいが人の輪が大きくなることで、必ず政府を動かすことができる。自民党政権で原発ゼロの道が遠くなっているように感じるが、脱原発の志を持つ人数は変わっていない。強さと粘りがある限り私たちが脱原発を実現する希望は残っている。廃炉まで少なくとも30年はかかる。子どもたちに背負わせないために。せめて私たちが原発ゼロの政策転換をするところまではこぎつけたい。国会前でまたお会いしましょう。」
富山洋子(さよなら原発1000万人アクション、日本消費者連盟)さんは、「2年経ても東北の方々の生活は厳しく、とりわけ福島の人たちの困難は計り知れない。原発事故は原発推進勢力と政府、東電が引き起こした人災。原発を止める大きな意思と願いを参議院選挙に結集しよう。安倍政権を退陣させよう。戦争も、核兵器も、原発もなくさなければ、誰もが安心して暮らすことができる社会は実現しない。死の灰を10万年は管理しなければならない。これを子どもたちに押し付けるのか。生き生きと暮らせる未来の社会を手渡すのか、私たちの行動が試されている。地域や職場で力強い取り組みを展開しよう。」と訴えました。
斎藤富春(ふくしま復興共同センター代表委員)さんが福島からの訴え。
4月27日に、警戒区域の変更で一部立ち入りが可能になった浪江町にいった。町並みは地震で倒壊したまま、沿岸から500メートルの請戸小学校の時計は、津波が到達した午後3時38分で止まったまま。復旧・復興などほど遠い。ただ一つの救いは、津波の時に請戸小には、2年生から6年生77人がいたが、防災無線の大津波警報で2キロも離れた山に走って避難し、全員が無事だったこと。迫りくる津波から必死で山に逃げる子どもたちの姿を想像してほしい。巨大な自然災害から生き抜いた子どもたちの夢や希望、健康が、人災である原発事故で奪われることがあってはならない。
原発事故発生から2年以上たっても、ネズミが原因の冷却システム停止など重大なトラブルが相ついでおり、事故収束とは程遠い。増え続ける汚染水をどうするのか、県民の不安は高まっている。福島の教訓は、いったん過酷事故を起こせば、人間の手では制御できないのが原発事故。原子力規制委員会は過酷事故を前提とした新規制基準を7月から施工し、再稼働の審査を開始するとしているが、福島の事故に対応できずに、何が新基準か。何が再稼働か。私たちは7月から事故収束宣言の撤回、県内原発10基の廃炉、完全賠償を政府と東電に求める新たな署名運動を開始する。全県民、全国民に大きく打って出る。ともに頑張ろう。
さらに、福島の青年を代表して熊谷智さん、日本共産党の志位和夫さんが訴えをしました。
続いてのリレートークでは、原発無くそう九州玄海訴訟弁護団、愛媛県伊方原発をとめまっしょい若者連合、原発をなくす新潟県連絡会、島根原発エネルギー問題県民連絡会、埼玉県の放射能から子どもを守る会、各代表がリレートークしました。最後に千葉麗子さんがドラム隊とともに、熱く激しく「原発いらない」「大飯をとめろ」「再稼働反対」「子どもをまもれ」「未来が大事」とパフォーマンスしました。
国会包囲行動には6万人が結集し、国会包囲の完成を宣言しました 。
3月8日から11日の期間に県内18カ所で行動が行われ、約4,600人が参加しました。今年の行動は、総選挙で自民・公明政権が復活し、原発再稼働への動きが強まる中、草の根から、そして長野県から「原発ゼロ」を大きく発信しようとの思いが示されました。
≪松 本≫
松本協立病院では3/10の午前中に、1997年に自然エネルギーの電力会社を設立したドイツにあるシェーナウ市の取り組み「シェーナウの想い」DVD上映会を企画しました。脱原発は実現できる、親たちの手ですでに自然エネルギーへの転換を実践している市がある!このDVDを見て、確信を持って午後の集会に参加したい、という意図がありました。30名の入場者の中には信州大学医学部の学生がおり、「住民投票に勝つシーンは観ていてワクワクしてきた」と上映後の感想交流で発言しました。また彼は「とても楽しかったので午後の集会にも参加することにした」と元気にパレードにも参加しました。
心配された雨も開始時には上がり、背伸びをして前を見ても後ろを振り返っても連なった1500人の列は、原発事故を風化させない誓いを叫びました。
≪飯水岳北≫
長野県最北、飯水岳北地域では、「なくそう原発 3・9飯水岳北のつどい 〜 わすれない・つながろう フクシマ 〜」の集会を、3月9日(土)、飯山市民会館3階の小ホールで開催しました。「?鎮魂、つながろうフクシマ?現代科学で制御できない原発をゼロへ?柏崎刈羽原発の再稼働を許すな」をテーマに60名が集い、交流しました。集会のオープニングとエンディングは、全員の歌声だったこともあり、原発ノーの願いで集った仲間のつながりは、さらにが強まったように思います。
とかく集会というとスピーチが主になりますが、今回はDVD「未来への決断 〜ノーモア原発〜」の中の第1章「原発に奪われたいのちと暮らし 〜父を返せ・故郷を返せ〜 」(17分)を視聴しました。この映像により改めて怒りが込み上げてきました。討論では、短い時間でしたが運動への要望や意見が積極的に発言され、今後の運動への期待感が伝わってきました。事務局からの訴えの後、集会アピールを大きな拍手で採択し、閉会としました。なお、野沢温泉村村長・村議会議長・教育長から脱原発・地の利を生かした発電の推進について、地方自治体として始動している旨のメッセージが紹介され、今後の運動を励ます内容に大きな拍手が寄せられたとともに、大きな確信を感じました。
≪長 野≫
≪飯 伊≫
3月10日(日)午前10時から飯田市鼎一式において「3.10いやだに原発・ウォークin I?da」が飯田下伊那の各地から250名の住民(子供を含め)が参加し、集会・パレードを行ないました。
当日は、天候が急変し強風と時雨模様のなか、会場はアップルロード沿いで休業中のパチンコ屋さんの駐車場をお借りして開催しました。午前10時からオープニングのうたごえ、10時30分から集会開会し、実行委員会代表の唐澤慶治さんがあいさつ、続いて事務局から経過報告と、福島からのメッセージを披露し、続いて行なわれたリレーアピールでは、小さな子供を持つお母さん10数名が、お子さんとともに登壇し「放射能から子供を守りたい」「子供を自然の中で育てられない日本には絶対にさせない」などの訴えをしました。また、「脱原発アクション飯田」の小林さんは、交差点でスタンディングを行なっている報告と、飯田市議
会議員へ「公開アンケート」に取り組んだ結果を報告しました。続いてアピールと中部電力株式会社への要請文の採決を行い30分ほどで集会は終わりました。
会場では、「福島、岩手の支援物資販売」を飯田民商の仲間が行ないました。パレードは、国道153号線で通称「アップルロード」という片側2車線の飯田では大変交通量の多い道路を2キロ余のコースで行い、参加者はそれぞれプラカードやゼッケン、デコレーションを持って行進しました。多くの車の中から激励の声援も聞かれるなど、集会には参加していなくとも「脱原発」は多くの市民の共通の願いであることを強く感じました。 (笹岡)
≪木 曽≫
上松町の県木曽勤労者福祉センターで10日、「脱原発 木曽ネットワーク」の設立総会及び「自然エネルギー」に関わる学習会が行われ、30人が参加しました。木曽では恒常的な脱原発の組織は初めて。冒頭参加者全員で黙祷。活動の柱として、「原発の廃止・廃炉」に向けた活動・再生エネルギーに関連する活動や、キャッチフレーズ募集の提案がなされました。また、ふくしま復興共同センター代表委員・斉藤富春氏の「福島からのメッセージ」、長野県平和・人権・環境労働組合会議議長・高橋博久氏の「メッセージ」が紹介されました。意見交換では、今後の活動として福島の皆さんとの交流、ビデオ上映、原発や放射能などについての学習会などの必要が語られました。なお、家族で福島県から避難してきた方も発言。激励と連帯の拍手が送られました。
学習会では、県環境部温暖化対策課の担当者から「長野県における自然エネルギ−推進施策」をテーマに、県内の先進的取組み事例が報告されました。(小松記)
≪上 小≫
≪安曇野≫
「3・11原発いらない安曇野集会」は、私たち呼びかけ人の二人(長谷川・山岡)で、知人にまず集会参加を呼びかけて、インターネットが得意な人に頼んだり、市庁舎や支所にお願いに出かけたり、労働組合に呼びかけたり、新聞に記事を載せてもらったりして、当日70人集まりました(タクシーの運転手さんは人数には入らず)。
事前に発言を頼んでいた、3人から発言で福島から避難して来ている人、福島原発の所長の親戚、安曇野市の放射線量を測定してもらった幼稚園の関係者と飛び入りで4人が発言となりました。福島から避難されている佐藤さんは、「まだ、終わっていない、原発はいらない」と発言されました。また、福島原発の社員の話を吉田さんが伝えてくれました、原発の処理をしている東電の社員は、回りの人からの言葉の暴言などで体調を崩して仕事を去って行く人が増えて、原発処理が思うように進んでいないと話されました。そして安曇野市の保育園関係者二子石さんからは、安曇野市のこどもたちは、放射能は大丈夫か?と市に頼み測定機で線量を調べて基準値より下と解ったと話されました。ここの保育園は、避難されて来たこどもたちもいます。その後、安曇野市のシンガーソングライターの小林和彦さんと「原発はいらない」を歌唱指導をしていただき参加者とともに歌い、デモ行進を豊科駅前〜豊科日赤前〜豊科駅前に帰るコースでシュプレヒコール、アピールをいいながらみんなで声出して最後まで寒い中を歩きました。珍しいのか歩行者や車の中から見ている人、手を振ってくれた人もいました。最後に呼びかけ人より、原発は日本に54基あります、これから一人一人が原発のことをどうするか、この集会のことを話して広げてほしいと伝えて終了しました。今後の集会のあり方などは、検討中です。
≪大 北≫
”震災復興・原発ゼロ 3.10行動in大北 集会”に大町市の方々をはじめ、大北地区の方々約120名が参加しました。小雨と風の中、復興と原発ゼロを訴えました。集会では、”震災復興を急ぎ、いますぐ原発ゼロの決断を求める決議”を採択しました。そして、約3.5kmのデモ行進を行い、国道や、大町商店街で震災復興と原発ゼロを訴えました。(大北労連議長 山極)
≪中 野≫
わすれない!3.11 なくせ原発!中野市民の集い 日時 3月11日(月)午後5時30分より 場所 中野陣屋前広場 なくせ原発中野市準備会の呼び掛けに応えて、晴れてはいるが気温は2度と肌寒いなか年金者を中心に参加者が集まってきました。集会は司会者挨拶と経過報告、原発ゼロ≪3.10≫全国イッセイ行動にあたっての福島からのメッセージ、の紹介、反原発集会へのメッセージの紹介、準備会の実行委員会に移行させる委員の選出と今後の取り組みを決めて散会。参加者は40名でした。
(塩尻協立病院 塩原秀治)
★日本中の国民に見せたい映画でした。
★ いい映画だと思いました。この映画が作られていた事にびっくり、そして今、光があてられている事に感謝、広がってほしいと思います。
★ 一人ひとりが行動する事、声を上げ「脱原発」叫ぶ必要痛感しました。
★ 10年前の映画なのに、今回見せていただき、リアルすぎおどろきました。これは、国民すべてが見るべきだと思いました。役所さんのセリフ、もっともです。
★ 原発事故がおきる前にこの映画を製作した監督の原発への先見性に脱帽
★ 2002年から、きちんと考えて映画がつくられていた事に感動 自分のできる事で私もやっていきたいと思った。
★ “何もしない事は、賛同していることと同じ”心にひびきました。天馬さんのような人が日本の政治家に一人でも多くいるといいと思いました。
★ 国、電力、会社等、指導ないまゝに国民をだまして来た事が安心、安全といつわって来た事が、福島・東北のひ災をまねいた事でも原発反対。
★ 地球を人類、動・植物全てを死滅させるもの、直ちに凍結(しかし放射能は現存する)し、人間の英知を出し合い、再生可能エネルギーへの転換、すばらしい地球を取り戻せ!
★ もうこれ以上の放射線汚染、未来への負の遺産は許されない。まず始めに、脱原発ありきで、そこから出発するしかない、今すぐに!
「原発ゼロ・自然エネルギーの転換を求める長野県連絡会」は、1月12日に「地域・団体交流集会」を長野市で開催しました。集会では、参加された呼びかけ人の大日方聰夫さん、田澤洋子さん、薄井キヌエさん、小林美喜江さん、山口光昭さんからそれぞれご挨拶をいただきました。事務局から結成から1年間の主な活動の経過と今後の取り組みついて提案がされ、その後交流が行われました。
交流と意見交換では、「選挙の結果にはがっかりした。一生懸命に脱原発の活動をしてきた人の中には、行動に出てこなくなった人もいる」「初めの頃は次第に参加者が増えていったが、最近は参加者が少なくなっている。もっと学習や工夫が必要ではないか」などの悩みも率直に出されました。一方で、「上諏訪駅前での毎週金曜日の行動では、歌やコントなどそれぞれが得意な分野を生かした活動をしている。そこでは通りがかった若い人がマイクを握って訴えることもあり感激した」との報告が参加者の注目を集めました。また、「3.11にお寺で鐘をついてもらうことや、ポスターをお店に張ってもらう活動をしてきた。活動を継続することは難しい面があるが一人でも二人でも続けることが大事」(飯水岳北地域連絡会)「労働組合のアンケートでも、原発の即時廃止は24%しかなかった。多くは段階的廃止。しかし願いは原発ゼロであり、電力不足や電気料金値上げなどでの疑問もあり丁寧に伝える努力が必要」(長野医療生協)などの意見が出されました。
集会では、自民公明の政権が、「原発なくせ」の世論に背を向けて、原発再稼働や新設に動こうとしている情勢を警戒しながら、それを許さない世論と運動を草の根から強めること。当面する大きな行動を3.8〜3.11の期間に各地域で準備し、昨年の3.11を上回る行動を起こすことを確認しました。
《 確認された行動 》
・3月8日から11日の期間に各地域での行動を実施します。計画が具体化されましたら事務局に報告ください。ニュースやホームページでお知らせします。また行動のない地域の皆さんは、長野や松本の集会への参加をお願いします。
・長野と松本では、これまで共同行動を積み重ねてきた実行委員会を中心に集会とデモが計画されています。
・東京では、9日に「さよなら原発1千万署名の会」が大集会を、10日に首都圏反原発連合の皆さんが巨大デモを計画しています。
この連絡会の正式名称「原発ゼロ・自然ネエルギーへの転換をもとめる長野県連絡会」が示すように、生命が存続可能な地球環境維持には、原発はもちろん石油などの化石燃料もやめて省エネに努めながら自然エネルギーを使う生活に転換する必要があります。
長野市この連絡会の正式名称「原発ゼロ・自然エネルギーへの転換をもとめる長野県連絡会」が示すように、生命が存続可能な地球環境維持には、原発はもちろん石油などの化石燃料もやめて省エネに努めながら自然エネルギーを使う生活に転換する必要があります。
長野市鬼無里地区(旧鬼無里村)は自然エネルギーを担う木質バイオマスや自然水が豊富です。それらの潜在エネルギーを利用できる形態に変えれば、自然エネルギー100%の生活が可能になります。現在鬼無里では、これを目指す取り組みが始まっています。将来、“鬼無里再生可能エネルギーステーション(仮称)”という組織(LLP;有限責任事業組合)を立ち上げ、鬼無里で可能な自然エネルギーの実用化を目指します。
まずは今年度中に、1万束の薪を生産する(写真)予定ですし、1000kW程度の小水力発電の可能性調査も行っています。調査結果に基づき、小水力発電による電力量を順次増やして行きますが、電力は「固定価格買い取り制度」を利用して売却します。この事業の収益の一部は、鬼無里地区住民自治協議会の活動資金に充てることを目指します。
7年前の合併により身近にあった行政が遠退き、住民の自治意識は低下しました。善意からかもしれませんが、地元の意向も聞かずに奥裾花自然園への小水力発電設置計画を進め、地元に説明もなく中止を決めた、市の姿勢も自治意識低下に拍車をかけました。大合併により、地域に適したきめ細やかな行政サービスが困難となり、対策として長野市は「住民自治協議会」制度を採用しました。これは行政の末端組織ですが基本的にはボランティア活動に依存する行政サービスであり、「住民自治」という文字はありますが自治を保証する財政的資金はありません。この状況を克服して、住民自治協議会が地域に適した独自活動を展開するには、それを支える財政的基盤を地域自らが何らかの方法で生み出さなくてはならないのです。その方策の一つが「固定価格買い取り制度」の利用です。
鬼無里の自然エネルギーへの期待がもう一つあります。鬼無里に潜在する自然エネルギーを利用可能な形態で継続的に供給するためには、それを支える仕事が必要です。農林業だけでは生活できないし、かといって雇用機会もないために鬼無里から若者が流出しますし、I/Uターン者もいません。しかし、自然エネルギーの利活用によって雇用機会が生まれれば、持続可能な環境共生中山間地域、鬼無里の再生が期待できます。
11月11日(日)13時30分から、長野市南千歳公園で「忘れるなフクシマ!あきらめるな脱原発!11・11長野行動」が400名を超える参加者で開催されました。集会は、開催前に「青い空は」などでミュージックアピールが行われ、最初に共同代表の袖山榮眞、本道多加子、田澤洋子の各氏からあいさつが行われました。
続いて福島県浪江町から避難してきた今野明美さんが、「福島原発で起きた事故が柏崎原発で起きたらどうなるか想像して欲しい。福島では目に見えない放射能汚染が進む中、水やガスなどのライフラインは止まり、避難勧告もなく、専門家は安全だと言い、マスコミも真実を流さなかった。国や企業が優先される現状では、自らが家族や住民の命を守らなければならない。人の命を考えない原発はなくそう」と訴えました。「市民の2分間アピール」では、長野県教組・長野県原水禁・長野県労連・マブソン氏・りんごほっぺの会・長野医療生協・更北の農業者等から、原発を無くすためのとりくみや思いが語られました。
集会終了後、プラカードや黄色い風船を手にデモパレードを行い、脱原発千歳飴を配ったり、「原発はいらない!」とみんなで声を上げ、市民に訴えました。デモ解散地点では農民連などのみなさんの協力で「トラック市」が開かれ、安くて新鮮な野菜や果物が販売されました。(長野労連 小林悟)
松本の11・11は、これまで3・11、5・5、8・11集会をいっしょにやってきた実行委員会中心に、「脱原発信州ネットワーク・松本」として準備をすすめてきました。当日は、天気予報より早く雨が降り始め、寒い中での集会でしたが、 福島へ支援に行っている鈴木幹夫さん、福島から避難してきて松本に暮らす森永敦子さん、脱原発の行動を続けている栗原和子さん3人から気持ちのこもった訴えがあり、どんなに政府・企業が原発推進に固執しようと、屈せずに声を挙げ続けていくことを集会宣言として確認し、松本城までデモ行進しました。参加者は450人でした。
30人で、JAびんぐしスーパー前とベイシア坂城店前で署名宣伝行動。125筆の署名が集まりました。その後お茶を飲みながら集会をもって、活動の交流と今後の活動について話し合いました。
(常 田 泉)
(木曽町在住 小松 功)
(塩尻協立病院 塩原秀治 )
(なくそう原発 飯水岳北の会 成瀬 誠)
(長野労連 小林 悟)
“とばそう赤い風船プロジェクト”事務局
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